感謝のうちに

投稿日:2022.03.09

いよいよ3月に入り、新しい年度へのカウントダウンに心がワクワクしているお子様もいらっしゃると思います。みんなでお祝いするお誕生会も全て終了いたしました。

お誕生会の時に保護者の皆様にお話ししてきたことは、幼児期はとても貴重で、人生の根幹となる大切な時期であること。周りの人に「褒めてもらう」より「認めてもらう」ことの方が有意義であるということです。

人に認めてもらうこと(承認欲求)は、大人になっても大切ですよね。他人の失敗や間違いにはよく気がつくし、時には「許せない」という思いを持ってしまうことがあります。私たちは、許されていることは忘れがちですが、他人を許すことは、簡単なことではありません。

 

マザーテレサは、「愛」の反対語は「無関心」だと言われました。

私たちは、自分は正しいと思いこんでしまうことがあります。それも大事なことですが、つい神さま(地球や自然と置き換えても可)の存在を忘れてしまい、イエス様という葡萄の木に“つながっている”ということ(宗教的な表現ですみません・・)を忘れて、自分以外の人(モノ・自然)に対して、知らずに、横柄な態度や「思い」「言葉」「行い」をしてしまうことがあります。

関心があるのは、いつも「自分」ばかり?と、までは言わないまでも、心の中に他人や神様が入るスペースがなくなっている時があるのではないのでしょうか。気づかないうちに、見て見ぬふりや聞こえないふりをしていたかもしれません。

「心の貧しい人は幸いである」という言葉の意味がずっとわかりませんでしたが、その逆を考えてみました。もしかしたら、心が貧しくない人は、心の中が自分の事だけでいっぱいなのかもしれない。自分は決して貧しくなんかない!と思っていましたが、どうやら自分の心の貧しさに気づいてなかったのかもしれないと気づきました。

 

イエス様は十字架上で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」と祈りました。カトリック教会では、今年は3月2日から四旬節(イエス様が十字架につけられて、復活されるまでの40日間)を【回心と償い】の期間として過ごします。

皆様とともに今日まで無事に過ごせたことを神様に感謝しながら、この1年を振り返りたいと思います。

ウクライナの人々や弱い立場に置かされた人たちのために、力を尽くしてくださっている方々のために共にお祈りをいたしましょう。